パラスポーツスタートガイド

「水泳」のおかげで
出会えた人、行けた場所がある。
僕にとって「水泳」は、
自分と世界をつないでくれるもの。

———「わあ、なつかしいですね」という言葉とともに登場した木村選手。東京2020パラリンピック競技大会の激戦の舞台・東京アクアティクスセンターにて水泳への想いや、パラスポーツについて伺いました。

2022年1月28日公開

水泳との出会い

僕は2歳の頃に病気で視力を失ったのですが、とても活発で、身体を動かすことが大好きな子どもでした。ただ、どうしてもぶつかってしまったり、転んだりすることも多かったので、いつか大きなケガをするのではないかと心配した母親が、水泳を勧めてくれたんです。安全に、でも、思いきり動ける環境を考えた結果、水の中。つまり、水泳だったと。それで、小学4年生の時に水泳を始めました。泳ぐことへの恐怖心や戸惑いはあまり感じませんでした。水の中のほうが動きやすいし、うまく息継ぎをするとスイスイ泳げたので、単純に「水泳ってかっこいいな」という思いが強かったですね。

専念するようになった
きっかけ

本格的に水泳に打ち込むことになったのは、中学生からです。時には思うように泳げず泣いたこともあったし、落ち込んだこともあります。でも、水泳は取り組めば取り組むほど、結果がついてくるスポーツ。大会に出場するようになってからは、「次の大会に早く出たい。もっと良い記録を残したい」と思い始めました。個性豊かなクラスメイトと接するなか、自分のオリジナリティは何だろう?と意識するようにもなって、僕にとっては、それはもしかしたら水泳なのかもしれないと、考え始めた時期でもありました。

パラスポーツを牽引する
選手との出会い

アスリートとしてもっとも影響を受けた人は、パラリンピック競泳の金メダリスト・河合 純一さんです。初めて参加した代表合宿で出会ったのですが、河合さんはその頃、2004年に開催されたアテネパラリンピック出場に向けて準備をされていて、「パラリンピックに出る人って、こんなに速く泳ぐのか」と、レベルの違いに圧倒されたことを、今でも鮮明に覚えています。僕はちょうど中学2年生だったのですが、パラリンピックという世界を舞台にしたパラスポーツの大会があることも、その時に初めて知りました。

東京2020大会での
金メダル

河合さんと出会ってから4年後、まさか自分が出るとは思ってもみなかったパラリンピックに初出場(2008北京)。その後4大会連続で出場することとなりました。そして、2021年の東京パラリンピックでは念願の金メダルを手にすることができて、自分のなかでも、ようやく1つの区切りがついた思いです。特にここ数年は金メダル獲得を目標に掲げ、日々練習を積み重ねてきたので、正直、ほっと安心しています。自分では結果が出るまで、すごく時間がかかってしまった印象がありますが、努力してきて本当に良かったと思っています。

パラスポーツに
興味がある人へ

僕にとって水泳は、世界と自分をつないでくれる道具です。水泳があるからこそ、出会えた人がいて、行くことのできた場所がある。スポーツは、時にそういう道具になってくれることがあります。好きだから、楽しいから、取り組むことも、もちろんそうですけど、頑張ることによってオマケがついてくるんです。特に水泳は、健常者の人とも一緒に楽しめるスポーツの1つ。僕は高校生まで特別支援学校で育って、大学生になってから健常者の世界へ入りました。そこで健常者の友人ができたり、輪の中に普通に加わっていけたのは、泳げたからこそだと思います。水泳は「健常者との共通言語」だったのかなって。また、水泳は泳げる距離が延びたり、タイムが縮まったり、泳げる種目が増えたりと、自分がレベルアップしていく過程が数字でわかるので、身体を動かすモチベーションも高まります。パラリンピックを目指してスポーツに挑戦してみたい人にも、レクリエーションやリハビリの一環として検討している人にも、水泳はおすすめです。

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