お互いを思いやり、助け合うのが
ごく自然なこと。そんな世界で
活動するのは替えがたい経験です。
――3才から水泳を始め、宇宙飛行士を目指していた富田さんは、高校2年のときに、徐々に視力を失っていく網膜色素変性症と判明。夢を失いつつも大学ではダンスに打ち込み、社会人からパラアスリートとして再び水泳に向かうと、舞台は世界に広がっていきました。自分と向き合い続ける富田さんが、挑戦の過程で意識したこと、パラスポーツの魅力とは?
2024年8月21日公開
静寂の中で、自分と向き合う
水泳は泳いでいる間は音の情報も入ってこないし、僕らの場合は視覚的な情報も光も完全に奪われるので、ほとんど体の中の感覚と、水と壁、またコースロープに触れる感覚しかありません。その静寂…真っ暗の静寂の中で、自分の感覚とだけ向き合っていくというのは、他にはないスポーツの感覚かなと思います。周りの選手との駆け引きや競争の感覚もないですし、常に自分の最高のパフォーマンスを発揮する。あとは結果を待つだけです。水泳はタイムという揺るがないものがはっきり数字で現れるし、環境要因にもほとんど影響されないので、確実に自分の成長を味わえるのがいいですよね。自分と向き合いたい人にはぴったりの競技です。
「自分を超えていく」競技へ
水泳にダンスと、以前は健常者の中で競技をしていました。高2のとき網膜色素変性症という進行性の目の病気が判明し、そこでいったん水泳をやめ、大学に入ってから新たに芝居やダンスなどに挑戦したんです。しかし、立ち位置が見えないなど、さまざまな点でパフォーマンスが難しくなる部分が出てきて、徐々に健常者として演技をすることや、競争していくことが難しくなりました。人一倍努力をしてもなかなか成果に結びつかないという経験を繰り返すうち、見えないことをネガティブに捉えず、同じような“困難性”を抱えた人たちと一緒に、少しでもフェアな環境で戦える場所に移る必要があるという思いが強くなり、パラスポーツに取り組んでみようと考えるようになりました。
パラスポーツを始めてから、僕の中での大きなターニングポイントとしては、システムエンジニアとして働いていた会社を退職し、パラアスリートに専念することになった2015年と、障害のクラス分けが変更になった2017年です。そのクラス変更を通じて感じたのは、必ずしも順位がその本人の実力や努力を示すわけではないということです。パラスポーツではクラス変更で(周りの選手との兼ね合いで)突然順位が上がったり下がったり、メダルに手が届いたり届かなかったりということがあります。そんな中で、継続的に自分を成長させるためには、順位やメダルといったものには囚われずに、「自分を超えていく」ことに集中することがより重要なんだなと思うようになりました。
だから、僕が自信を持って頑張ったと言えるのは、クラスが変わった後の方が早く泳げているということですね。そして障害がほとんどなかった高校生の時と比べても、完全遮光の「ブラックゴーグル」をして泳いでいる今の方がずっと早いタイムで泳いでいる。それは自分が努力した結果ですし、本当の意味で成長した証です。そこにはプライドを持っていたいなと思いますね。
没頭が心を立て直してくれる
もちろん、視力を失っていく中では「夢とか将来とか、とてもじゃないけど前向きに捉えるなんてできない」という時期がありました。自分に対して良くなるというイメージが持てなくて、そうして一度は水泳もやめて夢も諦めたあと、他に何か自分にできる楽しいことがないかなと思って探して、夢中になったのがダンスでした。
何かに一生懸命になって没頭するというのは、自分の中にあるネガティブな感情や考えをいい意味で忘れる時間になります。脈が上がり、汗をかいている、その間は悩みが吹き飛びます。身体に筋力がついてきて、少しずつ体から前向きになっていき、それが心を立て直していってくれるんです。僕はそれを狙ってダンスをやったわけではなかったけれど、結果的にとにかく楽しいと思えることに没頭する時間を過ごすことができました。それが僕を良い方向に変えていってくれたんだろうと今は思っています。
パラスポーツの魅力
パラスポーツは「多様性の幅」が健常者のスポーツに比べて圧倒的に広く、そこには強みも個性も全く違うもの同士で戦う面白みがあります。特に水泳は、本当に多様な障害のある人が取り組めるスポーツで、そうした人たちと出会い、それぞれの特性をいかして泳いでいる姿を学べるのは、やはりすごく魅力的だなと思います。
さまざまな障害のある人と一緒に過ごすと、それが当たり前になって、お互いを思いやり、助け合ったり、声をかけ合ったりが、ごく自然なこととしてそこに存在します。そんな世界で活動していくというのは替えがたい経験で、僕がこの競技を始めてからすごく楽しいなと思っている部分です。
“ずっとご機嫌でいる”ことの貴重さ
トレーニングやメンタルで意識しているのは、ご機嫌な自分を作るということです。その状態が最もパフォーマンスが高いので、苦しくなってきたときや上手くいかないときには、あえて笑うようにしています。すると顔から脳に笑顔が伝わり、神経からテンションが上がってくるんです。“笑顔の逆流”ですね。
そして、“ご機嫌の価値”を上げるためにご機嫌でいるとどんないいことがあるかというのを思いつく限り、毎日書き出すというトレーニングを長い間してきました。それが大事なものだと無意識に擦り込まれてくると、もう“ご機嫌の防御力”爆上がりですね。人から何かを言われたり、うまくいかないことがあって一瞬心乱される瞬間があっても、「やばい俺様の超大切なご機嫌が奪われようとしている!」「なんてことだ! 防御防御、ご機嫌ご機嫌、ご機嫌防御〜!」って、「はい、さよなら」ってなれますよ(笑)。
パラスポーツをはじめたい人へ
とにかくまずは楽しむことから。自分の好きなことを見つけていくというのが大事ですよね。「自分がやりたい!」と心から思えるものを探すのが上達への近道でもあるし、続けられるために必要なことでもあるので、いろいろなスポーツや競技に触れて、好きや得意を見つけて欲しいなと思います。東京都が実施している体験会やトライアウトなどにも挑戦してみてください。
今は「障害のある人への合理的配慮の提供」が義務化されたので、障害があっても理論上はどこに行ってもスポーツさせてもらえるはずです。その際に自分に何が必要でどういうことをして欲しいかをきちんと説明して、 “合理的”なラインを見つけていくということは大切ですね。そのときも自分に余裕を持って話し合っていく。ここでもやっぱりまず自分が“ご機嫌”でいることですよね。
さらに「なぜそれがやりたいのか、それをやるためにこういうことが必要で」というストーリーが自分の中にあると、協力者や仲間は集まってきます。最初は「楽しいから、好きだからやりたい」で良いと思います。でもそれ以上に何か手伝ってもらおう、一緒に何かを目指そうと思うときには、やはり明確な目的やそこに付随する目標も持っている方が、仲間と一緒に向かっていく気持ちになれると思いますね。
パリ2024パラリンピック競技大会に向けて
僕にとってパラリンピックはパリで2度目の大会で、有観客で迎える初めてのパラリンピックになります。その熱狂を感じるチャンスをいただけたことをありがたく思っています。東京パラリンピック2020競技大会(以下、東京2020大会)から3年間トレーニングしてきて、協力してくれた人たち、ずっと応援してくれたファンの人たち、そうしたみんなと一緒にパリを戦って思いきり自分の実力を発揮できたら、きっと楽しめるんじゃないかなと思います。
「スポーツの価値」を共有すると
東京2020大会が終わってから、スペインでトレーニングをしていました。スペインはパラ水泳の強豪国で、僕らのクラスのチャンピオンはリオ2016パラリンピック競技大会からずっとスペインのイスラエル・オリバー選手です。彼らの強さの理由はなんだろうと探りたくなって、スペインで練習してみたんですが、トレーニングのメニューや量がすごいとかいうことでは全然なく、本当にたくさんの障害のある子たちが普段から水泳を楽しんでいるということだったと思うんです。選手じゃない人も、一般のプールでも、障害者施設ではないところでも、多くの子供たちが思いっきり水泳をやっていて「スポーツの価値」をみんなが実感していて、それによって誰もが一生懸命に楽しくスポーツできている。だからこそ、その中から世界に出ていく子が出てくるんですね。裾野の広がりが傑出した選手を生む、その「根っこの豊かさ」が全然違うと思いました。
スポーツの価値は元気になるだけでなく、仲間ができて、自分の成長を感じることができるという点、そして、その姿を見て家族も障害を受け入れたり、お互いの人生を豊かにできるということにもありますよね。スペインのように、そんなスポーツの力をみんなで実感しようと熱心に取り組んで、その中から自然に強い選手が現れて、意欲がある人はパラリンピックを目指していけば良いと言える、そういう形が本当の理想なのかなと思います。(全体を広げて底上げして)日本でももっと若い選手たちがたくさん出てくることを期待しています。競うというより、世界でも国内でも一緒に泳げたらいいなと思っているんです。
健常者の競争の中では特に、どこかで1番が全てだと思ってしまいがちです。けれどパラリンピック(の水泳競技)にクラスごと14個の金メダルがあるように、それぞれのゴールや目標や成長は、どれもが魅力的なんですよね。実のところ、何かに打ち込んでいる瞬間や一生懸命になっているという状態そのものが「幸せ」なのであって、そこに到達すれば、順位も成果もご褒美もなくても、頑張れるように変わっていけるんです。それは社会が発展していくためにも重要なことで、それに気づかせてくれたのが僕にとってのパラスポーツだったのかなと考えています。