パラスポーツスタートガイド

田口亜希さん(射撃)田口亜希さん(射撃)

悩んだり壁にぶつかったときには、
立ち止まってもいい
それを乗り越えなくても、
目の前のことに一生懸命取り組んだり
それぞれのやり方で
進んでいくことが大切

――パリ2024パラリンピック競技大会(以下、パリ2024大会)の日本代表選手団団長として選手団を率いる田口亜希さんは、日本パラ射撃連盟理事、スポーツ庁参与、日本オリンピック委員会理事など多くの役職を歴任し振興に貢献、後進の育成に尽力されています。
25歳で脊髄内の血管の病気で車椅子ユーザーとなり、社会復帰してから射撃競技を始めると様々な大会で優勝・入賞。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続出場のパラリンピアンになった田口さんの射撃との出会いと挑戦、パラスポーツの魅力についてお話しいただきました。

2024年8月21日公開

偶然の出会いから射撃の世界へ

射撃というスポーツの存在を知ったのは、学校を卒業して客船『飛鳥』を運行する会社に入社してすぐの頃です。乗務員になるために新人研修でホテルオークラにいた際に、お客様から「海外の客船でクレー射撃をできる船があるらしいけど、『飛鳥』でもできるの?」と尋ねられました。色々と調べていくうちに「楽しそうだな」「やってみたいな」と思いましたが、その後トライするチャンスはありませんでした。
『飛鳥』でパーサーとして働いて、4年目の頃に脊髄の病気を発症しました。入院したリハビリ病院では周りも私と同じ脊髄損傷の方ばかりで、みんなで「車椅子でもできるスポーツってなんだろうね」という話をしていたところ、「射撃もあるよ」という言葉が出てきました。思わず「私ずっとやってみたかったの!」と言ったんですよね。そのときの一人が退院後に射撃を始めて、彼女に誘われて私も週に一度練習に通うようになったんです。最初はビームライフル(光線銃)からはじめ、ゲーム感覚で面白くて、ビームライフルの大会で連続優勝しました。そうしてコーチに勧められるままに、銃刀法の資格を取得して、実弾を使用するライフルの練習を始めることになりました。

今思えばそのコーチが本当に素晴らしかったんですよね。初めての試合で優勝すると、軽い感じで「次こんな大会あるけど」「やってみいひんか?」「一緒に来てみいひんか?」と背中を押してくれて、ハードルを感じることなく、ただ次の試合、その次と経験を重ねて、選考会、国際大会(ワールドチャンピオンシップ)に出場し、結果的にフェスピック競技大会(現アジアパラ競技大会)でメダルを獲得することができました。その頃には、世界パラ射撃連盟の定める参加基準をクリアしていて、そこで初めてコーチが「このままいけばパラリンピックに出られるかもしれないね」と言ったんです。当時は本当に選考会の意味もなにも知らなかったし、今だけに集中するというか、パラリンピックを目指そうというのは全くなかったんですが、結果としてパラリンピック出場につなげることができました。私はすごく緊張してしまうタイプなので、あえて言葉にせず導いてもらえた、それがきっと良かったと思います。今思えばコーチの戦略だったのかもしれませんね。

人って多分いろいろな能力があって、それにどう出会うかなのだと思います。私はそれがたまたま射撃だった。たまたま病気になったことによって、そういう出会いがあったのかもしれません。体を動かすのは好きでしたが、決してスポーツが得意ではありませんでした。けれどコーチは「最初にビームライフルの教室で会った時に、この子は向いてると思った」と仰っていて、コーチが私のために調整した銃の感覚が、その後も私を導いてくれたと思います。彼は何人ものパラリンピアンを育てていますが、最初に出会えて、しっかりと教えてくれたことに感謝しています。

射撃の面白さと醍醐味

射撃は道具を使うスポーツですので、自分の体や障害に合わせて、銃を調整して、最も自然な形で60発を打ち切るようにすることが重要です。コンタクトスポーツではないのでやはり自分との戦いで、技術と集中力が問われますね。私の種目(10mエアライフル伏射)の場合、10m先にある的のわずか0.5mmの中心部分を狙うのですが、今の世界のレベルでは決められた時間のなかで「60発すべて」をその「0.5mmの中心部分」に当てないとファイナルに残れないくらいの精度が必要です。ひとつのミスが結果を左右しますが、たとえ1発外してしまったとしても諦めることはできません。自分のプライド、みんなへの思い、今までやってきたことを思うと、再び気持ちを持ち直して絶対に最後まで撃ち切ります。もちろん大事なのは、「試合でどれだけ最高のパフォーマンスをできるようにしているか」なんですが、最後まで諦めず撃つとやり遂げたと思える爽快感がありますね。私はすごく緊張するので途中何度も止まってしまうときがあり、そのときは「もうこれが終わったら射撃はやめる」「こんな辛い競技は嫌だ」って思うんですけど、終わった後には「やった!」「また練習したい」と思っちゃうんですよね。

パラアスリートへの扉を開くには

何を目指すかにもよりますが、例えばパラリンピックに出たいとか強い選手になりたいといった場合、好きな気持ちややりたいという意欲はもちろんのこと、自分にあっているかどうかも大事ですよね。例えば、日本パラスポーツ協会が主催する『ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト(J-STAR)』という選手発掘事業や、『東京都のパラスポーツ次世代選手発掘プログラム』など、いろいろな競技に体験・相談の機会がありますので、応募していただければと思います。もちろん、パラリンピックがすべてではないと思うので、ライフスポーツとしてできるものを見つけるためにも、さまざまな体験会などに参加してみるのもいいですね。何かのきっかけで世界が広がって変貌するかもしれないですよ。

パラスポーツの普及で目指したい「共生」

時代とともに、特に東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)が開催されたこともあって、皆さんの意識が少しずつ変わって選択肢が増えてきているのを感じます。一方で、日本パラリンピアンズ協会の調査によると、パラリンピック選手の5人に1人がスポーツ施設の使用を断られている現実があり、その割合は東京2020大会の間際でも変わらなかったんです。パラリンピアンですらそうだということは、選手ではないとか、普通にスポーツで遊ぼうとか、地方とかであればその割合はもっと高くなる可能性があると思います。そうした課題は障害のある人のためだけでなく、高齢化社会に向かうなかで、私たちが一緒に考えられる部分ではないかと思います。
そういうことが「共生社会」だと思うんですね。障害のある人は、よく「弱者」と表現されることがありますが、「私自身は多分弱者じゃない」と思うんです。そんなに弱くないし、言いたいことも言いますしね。「共生」というと、健常者が障害のある人を助けたり、おもんぱかることだと思われますけど、私はお互いができることや得意なことで助け合い、思いやることだと理解しています。そのためにも私たちがある程度自由に動けるユニバーサル/バリアフリーな環境が必要で、そこはずっと考えていかなくてはいけないなと思います。

パリ2024大会に向けて

私が最初のパラリンピックで感じたのは「なんて人って素晴らしいんだろう!」ということでした。アテネの皆さんがどの国に対しても大きな歓声と拍手とエールをくれて、ボランティアの方たちも私たちのためにすごく考え、応援してくださっているのを目の当たりにしました。また、監督やコーチ、関係者が選手のために懸命に取り組んでくれ、大会期間中の仕事を変わってもらって迷惑をかけているにも関わらず同僚もすごく喜んでくれました。友人も壮行会やカンパを募ってくれたり、みんなが自分のことのように喜び応援してくれていて改めて、なんて人って素晴らしいんだろうと気付かされました。そういうことを気づかせてくれたのはパラリンピックですし、出場する度に毎回それを感じているんです。

今回のパリ2024大会では日本代表選手団団長として参加しますが、まずは選手が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、環境面などさまざまな課題について選手団本部スタッフや関係者の皆さんと相談したり、選手のストレスを軽減するための話し相手になったり、あるいは、そういう話のできる場所を提供できたらいいなと考えています。自分にできることでサポートしながら、これまでの挑戦から得られた知識や経験、人との繋がりといったものを次世代に継いでいくことが求められるのかなと思っています。

チャレンジしたい方へ

悩んだり壁にぶつかったりしたときは、立ちどまってもいいですし、やめて他のことにチャレンジしても良いと思います。もちろん乗り越えたり突き進むことも素敵ですが、必ず乗り越えなければいけないなどとは思わず、さまざまなことにチャレンジしたり、目の前にあることを一生懸命するなど、いろいろな方法で進んでいければ良いと思います。

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