長原茉奈美さん(バドミントン)
簑原由加利さん(自転車)
第24回夏季デフリンピックカシアス・ド・スル大会で活躍した長原茉奈美さん(バドミントン)、簑原由加利さん(自転車)が登壇したトークショーが開催されました。
スポーツを始めたきっかけや日本代表に選ばれるまでのプロセス、2025年に東京での開催が決定しているデフリンピックについて、お二人にお話を伺いました。
2023年3月8日公開
プロフィール
長原 茉奈美(ながはら まなみ)
北海道出身 株式会社ゼンリンデータコム勤務
第23回夏季デフリンピック競技大会サムスン
バドミントン 女子シングルス 銅メダル
第24回夏季デフリンピック競技大会 カシアス・ド・スル
バドミントン 混合団体戦 銀メダル
第5回世界デフバドミントン選手権大会
第5回アジア太平洋ろう者バドミントン選手権大会
他 入賞多数
第24回夏季デフリンピック競技大会後、現役引退
簑原 由加利(みのはら ゆかり)
佐賀県出身 株式会社Speee所属
日本ろう自転車競技協会強化指定選手【ロード競技】
第21回夏季デフリンピック競技大会 台北
バスケットボール日本代表
2011年から自転車競技に転向。
タイムトライアル | 銅メダル |
ポイントレース | 銅メダル |
ロードレース | 銅メダル |
国内では強化としてトラック競技やシクロクロス競技にも取り組んでいる。
インタビュー
――今日は宜しくお願いいたします。まずは、お二人がスポーツを始めたきっかけを教えてください。また、取り組んでいらっしゃるスポーツがデフ競技と聞こえる人の競技で違いがあるのか、あるとすれば、どのようなところが違うのか、教えていただけますでしょうか。
(長原)私がバドミントンを始めたきっかけは、通っていたろう学校にあったクラブチームに参加したことです。チームのコーチと両親からの勧めでバドミントンを始めました。
デフバドミントンのルールは、基本的に一般のバドミントンと変わりません。デフバドミントンの特徴として、大会に参加するときは、補聴器または人工内耳を外してプレイする、つまり全く聞こえない状態で参加することが必要になります。
私はダブルスの選手だったのですが、試合の前に自分たちの攻め方、攻撃の仕方のパターンをあらかじめ決めていました。実際の試合では、それらに加えて、パートナーと動きを合わせながら、目で確認を取り、試合に臨んでいました。
(簑原)自転車競技を始める前はバスケットボールをしていました。バスケットボールを始めたきっかけは、高校一年生の時、友達に誘われて、実際にやってみるととても楽しくて魅力的で始めました。その後、社会人チームに入り競技を続けていました。
自転車競技に転向したきっかけは、もともとツーリングが好きで、趣味として、日本ろう自転車競技協会に入って楽しんでいました。
2011年にカナダで世界デフ自転車競技大会が開催され、協会のサポートスタッフとして参加しました。そこでレースを見たのですが、とても盛り上がっていて、ロードバイクのスピードにも魅力を感じ、日本に帰ってきてすぐにロードバイクを購入して、バスケットボールから自転車競技に転向しました。
自転車競技もバトミントンと一緒で、聞こえる人と全く同じルールです。私は耳が聞こえないので、一般の大会に参加するときには事前に、耳が聞こえないということを伝えておきます。そうするとスタッフの方たちが事前に準備をしてくれます。例えば、ピストルの合図の前に、3分前、2分前と書いたボードを出してくれるので、それを見て自分のスタートのタイミングを計ることができます。レース中、私は音や声が聞こえないので、健聴の選手同士のやり取りやアタックするタイミングに注意しながら戦っています。
デフリンピックの場合はピストルの合図はありません。スタートの前に、カウントダウンを、5・4・3・2・1と指でやるので、それを見ています。そして旗を振られスタートします。
――ルールはほぼ一緒で、聞こえないことを補うために、決まりごとがあったり、工夫をされたりということですね。
次に、デフリンピックについては、いつ知りましたか?時期やきっかけなど教えてください。
(簑原)2001年に大会名が「世界ろう者競技大会」から「デフリンピック」に変わった時に大会を知りました。まだ私がバスケットをしている頃です。学校の先輩がデフリンピックの選手に選ばれた、ということを聞き、デフリンピックという大会があるのを知りました。
(長原)私は少し記憶が曖昧なんですけど、ろう学校の中学部にいる時に参加したバドミントンの大会に、デフリンピックに参加された方も出場していたんです。それがきっかけで大会を知りました。
――将来、日本代表になってデフリンピックに出たい、と考えている方もいらっしゃると思います。日本代表になるまでのプロセス、代表になるまでにどのような選考の過程があるのか、などご自身の場合も含めて教えていただけますか?
(長原)デフバドミントンの国内3大大会※に加えて、オープン大会にも積極的に参加しました。デフバドミントン協会は指定強化合宿がありましたので、そこにも参加しながら、いろいろな大会で実績を積み、デフの日本代表として選んでいただきました。
※日本ろう者バドミントン選手権大会、日本ろう者ランキングサーキット大会、全国ろうあ者体育大会
(簑原)まずは、指定強化選手になるために、協会の練習合宿に参加していました。月一回のペースで参加したと思います。レースにも積極的に参加し、経験を積み重ねて成績を上げていき、指定強化選手に選ばれました。
指定強化選手に選ばれると、次はデフリンピック出場を目指しました。デフリンピックに出場するためには選考基準があり、その基準を突破できるように積極的にレースに参加しました。多くのレースに参加し、失敗・反省などを経験し、次の合宿で課題をクリアしていく。それを繰り返し、時には聞こえる人のチームの練習にも参加して、成績を上げていきました。そして晴れてデフリンピック代表に選ばれることが出来ました。
――お二人とも、2022年ブラジルのカシアス・ド・スルで開催された夏季デフリンピックにご参加になり、長原さんは、バドミントン競技で日本代表初となる銀メダルを獲得され、簑原さんは3つの銅メダルを獲得されました。大会を振り返ってみて、いかがでしたか?
また競技以外のところで、ブラジルについて印象に残っていることがあれば教えてください。
(長原)私は今回のブラジル大会を最後に、引退しようと考えていて、ずっと続けていたバドミントンの集大成として参加しました。その結果、銀メダルを獲得できたということで、すごく満足しています。
今回は新型コロナウィルス対策ということで、ホテルと競技会場の行き来だけでした。でも街並みなど移動中に見て、「外国に来てるなあ」という気持ちになりました。食事については、私はなんでも食べられました。とても美味しかったです。
(簑原)5年前にトルコのサムスン大会で銅メダルを1個獲得しました。今回のカシアス・ド・スル大会では銅3個。銅メダルよりも良いメダルを取りたかったですが叶わなかったので、今後は銀メダル、金メダルを目指してがんばっていきたいと思います。
ブラジルは日本の反対側で時差は12時間、日本が朝ならブラジルは夜。私は特に時差ボケにはならなかったですが、苦労している方もいました。
食事は豆料理※が毎晩出たのですが、それがとてもおいしかったです。煮込んだ豆に塩を振ってご飯に混ぜて食べる、それが非常においしかったです。
※フェジョン、フェジョアーダと呼ばれる豆料理、ブラジルでは毎日のように食べると言われる定番料理
――2025年に東京で開催されるデフリンピックに向けて、意気込みや期待することなど、一言いただけますでしょうか。
(簑原)デフリンピックに関する認知度が低く、以前は2.8%、今も11%という統計があります。ですが、今はデフスポーツ界には本当に強い選手が大勢いて、2025年を目指して技量を高めています。テレビや新聞などのメディアにも多く取り上げていただき、少しずつ認知度も高まっていると思います。私もアスリート社員としてSNS等の発信をしていますが、情報が広まっていくことを期待しています。
(長原)「聞こえない」ということは目で見てわかりにくい障害で、そういったところが認知度の低い原因かと思います。こういった講演会や体験会で感じたことを他の方に伝えていただく、SNS等のメディアで情報発信していただけるとうれしいです。
――それではここで会場の方からもご質問をいただきたいと思います。
(質問者)私は聞こえる側なので、大会の運営やボランティアで今後できたらなと思っているのですが、これまでこういったサポートがあってありがたかった、逆にもう少しここをサポートして欲しかったということがあれば教えてください。
(簑原)デフリンピックの時に、レース会場でほとんどアナウンスが聞こえないということがありました。ボランティアの方が少なかった、あるいは国際手話ができない人もいらっしゃったこともあって、なかなかアナウンスが伝わってこない、情報がないということがあり、少し混乱もありました。
今後の国際大会では、国際手話ができる方にボランティアやサポートをいただけるとありがたいです。
(長原)まずはやはりコミュニケーション、聞こえない方とのコミュニケーションの仕方を覚えていただきたいと思います。聴力も軽い方、難聴の方、全く聞こえない方とそれぞれ聞こえの程度が違う人がいます。人によってコミュニケーションを変えていったり、自分に合う方法を見つけていただけたら嬉しいです。
(質問者)ろう学校の教員をしております。中高の学校なんですが、お二人が中学生、高校生くらいのときに経験したことで、今につながっているなあ、役立っているなあということがあれば教えてください。
もうひとつ、競技の練習をずっとされていて、学校の生徒たちも同じなのですが、ひとつのことを続けるってとても大変なんですよね。その時に自分が壁にぶつかったときに、どういうふうに自分の気持ちを前向きにさせているかをお聞きしたいです。
(簑原)高校生の時は、バスケットボールをしていました。高校では練習もとても厳しくなり、よく叱られたり怒られたりしました。苦しかったですが、あきらめずに頑張って続けていました。その頑張っていたことが今につながっていると思います。
私は叱られて育ちましたが、若い選手を指導する際には同じように叱ったり怒ったりするのではなく、褒めながら指導することにしています。
メンタルはちょっと弱いんですよ、私(笑)。様々なことを経験していく、その中で人を理解する、コミュニケーションをとる、ということをしていたらメンタルも強くなってきた感じがします。チームワークを高めるには、一番良いのは笑顔だと思います。私が落ち込んでいるときにも、ほかの人の笑顔を見ると、自分の気持ちが明るくなるので笑顔は大切だなと思います。
(長原)中高の時は聞こえる人と一緒に練習をしていました。いわゆる「体育会系」の環境で育ってきましたので、メンタルも鍛えることができました。
ストレス発散方法の一つとして、自分が考えていることや何に対して怒っているのかということを紙に書き出していきます。それを全部書いていって、後で見返すと、書き出したことによって頭の中が整理され、自分が冷静になっていく、というものです。
そして、書き終わって見返したら、それを破り捨てて発散するということをしています。
(質問者)いま自転車に関心を持っていて、今後大会に参加するためには、聞こえる人の大会に参加するのも良いと聞きましたが、聞こえる人との一緒に競技したり、練習したりすることで何か気をつけておいた方が良いことがありますでしょうか。
(簑原)私の場合、所属しているのは聞こえない人のチームで、そのチームに入っていただければ一緒に練習出来ますよ。
聞こえる人とのコミュニケーションは筆談になります。聞こえる人と一緒に走る時は、例えば止まり方であるとか、音も聞こえるのか聞こえないのかによって違いますので、少しやり方を変えています。聞こえる人のレースに参加する場合、初心者でも参加できる大会もあるので、まずはそういう大会に参加して慣れていけば安心できると思います。
――長原さん、簑原さん、本日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。